命のともしび


厚生労働省の統計によると、2009年になくなった14歳以下の子供は約4500人、死亡率は年々下がっています。医療や機器が進歩して、より多くの命を救える時代になりました。しかし、最先端の医療を尽くしても治せない病気も存在します。
今の時代に子どものために何ができるか?ある家族の体験された記事が記載されていたので紹介します。


  • 2008年7月22日。人工呼吸器をつけて眠る5歳の陸玖(りく)君、心拍数が下がり始め病室で両親と祖父の3人が見守り、心臓マッサージを受けるかどうか、医師が聞いてきた。「もう、いいよな」と父(40)が言った。母(40)もうなずいた。午前10時半過ぎ、モニターの数字が、ふっとゼロになった、胸はまだ動いていた。陸玖らしく過ごせるように...。そう駆け抜けてきた10ヶ月

 

(中略)

2007年9月。群馬県に暮す陸玖君、毎日体操着で通園していた。母は、陸玖君の片目が中央に寄っていることに気づき、近くの眼科で遠視による斜視と診断。視力の精密検査などしているうち1ヶ月が過ぎた。「頭がいたーい」と訴えるようになり、地域の総合病院に行きMRI検査を受けた。小児科の医師の説明で「すぐに治療が必要です専門の病院に移った方が良いでしょう」そのまま救急車で1時間離れた自治医科大どちぎ子ども医療センターに搬送され、検査結果は脳腫瘍の神経膠腫グリオーマ)だった。小児脳神経外科長の五味医師は「腫瘍が非常に悪性なこと、最善の治療を尽くしても平均生存期間が1年であること、治療を迷っている時間はありません」先生が何を言っているのか分からなかった。立ち上がれず、言葉もでなかった。眠っている陸玖君を見つめながら、涙が止めどなく流れた。
その後放射線治療抗がん剤治療が中心となる治療が続いた。放射線を脳に当てるのは怖くて不安だった「家に帰りたい」と泣いた。11月、頭痛や吐き気が治まり腫瘍は小さくなり自宅で過ごすことを決めた。母は、インターネットで有名な脳外科医のサイトなど見て情報を集めた。でも、治ったと言う情報は見つからなかった。夫婦で話し合い「本人が楽しく過ごせるようにしよう。陸玖らしく過ごせる環境にしょう」そう決めた。2008年4月、いつものように2週に1度病院に行きMRI検査を受けた。腫瘍が脳の別の場所に移っていた、水頭症と呼ばれる状態だった。手術をし頭痛は数日で治まった。ところが、脳のむくみを抑えるため点滴を錠剤に替えると容体が悪化した。食べ物が飲み込みづらく、ろれつが回らない。5月3日改善してはいないけど退院した。
そして、6月3日水頭症が再発、手術しても改善しなく全身が激しく痙攣した。両親はその時が来たら延命治療をすることを選択していた。人工呼吸器を着けた。保育園の友達や先生、親戚、病棟の保育士も毎日のように訪れ絵本を読み聞かせた。1ヶ月が過ぎた
7月22日、心拍数が下がり始めた、心配蘇生術は受けなかった。モニターの数字はゼロになった。
楽しめることを考えて過ごした日々、最後の1ヶ月は親の勝手だったかもしれない。死を受け入れるのに必要な時間だったかもしれない「陸玖はどう思っているのかな」
                         朝日新聞2011・1・24〜27患者を生きるより

医薬品や医療機器が進歩してより多くの命を救える時代になりました。ですがまだ最先端の医療を尽くしても治せない病気もあります。
延命治療を行い命を1日でも永らえることだけが子どもにとって良いことでしょうか。残された時間をどう過ごすか、子どものために何ができるのか、これから家族にとって最善の道を共に話し合いどのように生活をしていくか考えていかなければならない。
(ふせや)