へき地医療(離島)


足元は素足にわらぞうりかサンダルで海がうなる吹雪の日も、桜舞い散る春の日も。
下甑島。そこは鹿児島本土から西へ船で当時は6時間かかったと言う。現在はこうそくせんのも出来きたがそれでも1時間15分かかると言う。そんなへき地である
2011年3月朝日新聞での記事を紹介します。
瀬戸上健二郎

(せとうえ けんじろう)鹿児島県肝属郡東串良出身。 鹿児島大学医学部卒。 同大付属病院に勤務後、1972年から国立療養所南九州病院で外科医長を務める。 テレビドラマとしても人気の漫画「Dr.コトー診療所」。その主人公のモデルになったのが瀬戸上医師であり、現在、鹿児島県薩摩川内市下甑島にいる。県本土から赴任し、30年近く診療所長を務める


瀬戸上医師は、開業するために病院をやめた時、下甑村(しもこしき)から「半年だけでもきてほしい」と頼まれた。
医師は瀬戸上1人、看護師と事務員が地元の2人ずつ。
診療所は当時ウミガメが産卵に上がってくる美しい浜辺のすぐ目の前にあった。だが、玄関の鉄の扉は赤くさび、まるで牢屋のようだと思った。手術室には麻酔機はなく手術台はさび村人に「死んでもココで手術は受けたくない」と言われた。
だが、ここは島にたった1つの入院できる「最後の砦」村は麻酔機を買い、救急に備えた。
「年中無休、24時間すべて診る」覚悟を決めた瀬戸上医師
半年だけのつもりが、気が付けば33年になっていた。
瀬戸上医師が島に来る前の医師は短いと4ヶ月、長くて6年だった。
なぜ?と聞かれる度に「おもしろかったから」と応えてきた。だが本当かと自問する「むしろ厳しい、苦しい、情けない思いもしてきた。」
こんな島にいたら医者として時代遅れになるのでは・・・。何よりも難しかったのは、開業を夢見る若さのマグマを抑え込むことだった。
86年に現在ある高台に移り、ベットは19床、ガンの手術、最新のCTも入れ人工透析もできる診療所になり、スタッフ22人。離島診療を学びに来る研修医や学生も訪れるようになり宿舎も村で建てた。
3千人の村人のカルテは頭の中にあり千人以上を看取ってきた。
人に関わらず飛べなくなったカモメ、難産の牛、何でも診てきた。
東京から見たらへき地、離島にすぎないけれど、島人にとっては島こそ地球の中心だ」
村人は瀬戸上医師に信頼されている。

「潜水病で3度、先生に命救われたんよ。神様は見えんけんど先生は見える神様や。」「あたしが死んだらこの体研究に使ってや」
ある患者は、腹部大動脈瘤が見つかった。ガンの手術は診療所の設備でも自信があった。でも大動脈瘤の手術はしたことない。本土の大病院での手術をすすめたが患者は、「命は神様に、病気は先生に。それでつきたらそれが寿命」専門の医師を診療所に招き2人で手術した。
村人の一人が長崎で医師をする娘婿から「こっちに来ませんか」と言われた。瀬戸上医師に相談すると「島におったらいい、最後まで診るから」瀬戸上医師にすべてを託そうと思っている。亡き夫のように・・。
70歳になった。外科医には賞味期限がある、視力も落ちてきた、限界も感じる。
「だから面白い、年を取らないとわからない未体験ゾーンに入ったから」
平成16年辺りでは全国に800ヶ所位離島や山間部にへき地があったと言われています。全国各地で高齢化が進み、人口が少なくなっている地区もあるため「へき地」と呼ばれる地域はだんだんと減ってきています。しかしまだそういう土地に医師を待っている人々がたくさんいます。そのような住人の健康問題を解決するために必要な総合的な能力・知識をもった医師「プライマリケア医」、行政との連携し医師不足を解消していかなければ・・。
(ふせや)