第3回反核平和自転車リレーに参加して

反核平和自転車リレー(ピーチャリのことを正式にはこう呼ぶらしい)の2日目、塩尻協立病院−飯田健和会病院に参加した。主旨もさることながら、一人ではとても走る気にならないような距離を自転車で走ることに興味があり、昨年も参加したいと思いながら他の用事で果たせないでいた。

今年は、晴れ時々曇りの良いコンディションの下で、塩尻協立病院−塩尻峠−諏訪共立病院−つるみね共立診療所−上伊那生協病院−健和会病院の約100kmを走ることができた。ママチャリOKという文句には多少疑問をいだいていたので、これを機会にかねてからの計画であったクロスバイクを購入し、車がぶんぶん通る脇を走る危険を考えヘルメットもついでに買った。その甲斐もあって楽しくゴールまでを走ることができた。



この場には書ききれないが、各地で飲み物や食べ物(さらに踊りも!)の篤いおもてなしをいただき、支えてくれる人たちの期待あたたかい気持ちを感じた。また、クラクションを鳴らされることもあったが、沿道の知らない人から声援をもらうことあり心温められた。1時間ほど遅れて健和会に到着したが、特に事故などの大きなトラブルもなくゴールできたのは運営にあたったスタッフの細かい配慮の賜物と思った。


ところで反核という言葉を見ながら思い出したのが、放射性物質ラジウムの発見者キュリー夫妻とピーチャリ(というか自転車)との不思議な縁である。彼らの新婚旅行は少し変わっていて、結婚のお祝いにもらった自転車で田園地帯を走破して回ったという。キュリー夫妻は、科学技術は健全な価値観を持った人々が使うことによって、初めて人類の幸福につながると考えていた。残念ながら今の世界の状況は、健全な価値観を持っているとはとは言いがたい一握りの人々が、核兵器を含む軍事力を肥大化させ、世界の平和は深い霧に閉ざされているようにも思われる。また、われわれは「便利さ」「快適さ」を売りに膨大な化石燃料を消費し、放射性物質の残骸を残し、ごみの山を築いていく消費文化の中にどっぷりつかってケータイやメールやテレビで未来の不安をその瞬間、瞬間紛らわしているにすぎないように思われる。このような時代にあって自転車は一筋の希望の光であり、また、本来、道具があるべき姿を提示しているすがすがしい象徴である。自転車はメタボによい、環境にもよい、静かな田舎の道をこげば気持ちも明るくなるから精神衛生にもよい。道路を作るのが大好きな日本政府よ、アメリカ軍や無駄な公共事業にまわす金があったら、オランダのように全国すみずみに自転車が安全に走れるような専用道路を作ってくれ。(ついでに歩行者も安全に歩けるような歩道も。もちろん歩行者と自転車は別のレーンを通れるような。)いつの日か、自宅から塩尻協立病院まで自動車に邪魔されずに自転車通勤できる日が来ることを願って。また来年も参加します。よろしくお願いします。
塩尻協立病院 由井 弘