神様のカルテ

神様のカルテ
信州松本、地域の中核病院に勤務する5年目の医師が主人公。
そこは24時間、365日、患者を看続ける多忙な現場。
大学へゆき、最先端医療に取り組むべきか、
それともこのまま地域医療に携わるか、
揺れる心を覆い隠すように日々と格闘する。
患者とのふれあい。下宿の仲間との交流、
そして北アルプスの自然が独特のリズムでつづられる。
夏目漱石に傾倒した主人公の言い回しもなかなかいい。
淡々とした語りの中に優しさがあふれていて、つい目頭が熱くなる。
実在する飲み屋や施設が、作中に登場するので、松本にこれから住もうと思っている人にはかなり楽しめる。
また、物語に後半には「安曇さん」を通して大学病院と地域医療の違いが見えてくる。
今更ながら、大学はターミナル(末期)を診ないのだと知った。
そして、後々、その事が何を意味をするのか考えさせられることになった。
きっかけは、地元新聞『市民タイムス』の小さなコラムの記事だった。

父が亡くなった。満81歳6か月、肺がんであった。S大学医学部付属病院で検査をし、すでにステップ4の状態と聞かされたのが5月の連休明け。
(中略)
せめて抗がん剤治療だけでもと頼んで、父はS大学病院に入院。4回の予定のところを3回実施した段階でこれ以上は却って余命を縮めるとの判断で中止。治療法のない患者をS大病院は入院させておいてはくれないらしく退院勧告。その際、担当のU医師は父と母と私を目の前にして「81歳といえば日本人男性の平均寿命を超えてますから、もういいでしょう。」と言ったのだ。母も私もU医師のこの言葉に呆然として何の言葉も出て来なかった。父は「はい、わかりました。」と毅然と答えた。その時の父の気持はどんなだろう。このU医師の言葉にその後も母はどれだけ苦しい思いをしたことか、それは今も続いている。自宅近くて呼吸器内科のある病院ということで父は松本協立病院を受診することになった。8月12日、初めての診察が終わろうとするとき、母は突然「先生のような方に診ていただけるだけで幸せです」と言った。江田清一郎医師、掛かりつけの医師に出会えた喜びから自然と溢れ出た母の言葉であった。こうして父は江田先生による緩和ケアを受けることになった。聴診器を当てるにさえ「申し訳ないね」とおっしゃる先生。病状が思わしくないことを告げるのにも、それがあたかも自分の責任であるかのような話し方をされる先生。ひとつの言葉、ひとつの行為から「この先生を信頼していればいい」という安らぎを母も私も感じ取っていた。さらに驚いたのは、こういう姿が江田先生一人だけでなく看護師さんたち、みな共通にみられることだ。「心の通った医療」が確かにここにはある、と思った。9月のシルバーウィークまでは持たないかもしれないと言われた父は、10月21日の正午、息を引き取った。苦しむこともなく、眠るようにとはまさにこのことか、と思うような最期だった。
(中略)
11月16日(月)『古今気になる記・父の死』

この記事を読んで、この小説はフィクションとはいいながらも、現実味のあるストーリーが散りばめられていることに気づいた。
作者の夏川氏は現役の医師で現在は大学病院にいるという。
続編が楽しみだ。
(学生担当・窪田)